パラのギャグ漫画
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作者パラ

私はかつてアニメーション専門学校の漫画コミック科に入り漫画家を目指した。これはノンフィクションの体験記である。

『パラのギャグ漫画』

1.漫画家を目指していた頃

(1)漫画家を目指したきっかけ

その昔、私が通っていた中学校はひどいところで、高校には絶対に行きたくないと思った。
しかし、何もせずにブラブラして過ごすということは、私には考えられなかった。
だが、中卒でできることは一体何だろうか、と悩んだ。
私の特技といえば、漫画を描くことぐらいで、漫画界には学歴差別はないということも知っていた。
だから、私は中学を出てすぐに漫画の専門学校に進んだ。
それまで、自分が漫画家を目指すなどということは、夢にも思ったことがなかった。



(2)専門学校時代

その専門学校では、外部から漫画家や編集者などが来て、しばしば生徒が描いた漫画作品について、講評会のようなものが行われた。
また、当然ながら教員による批評は頻繁に行われた。
これは、非常に苦痛をともなう体験であった。
私の作品は嫌われることのほうが多かったからだ。
ある編集者は、私以外の全ての生徒たちの作品を上機嫌でほめていたのだが、私の作品だけがダメだとして、長時間、失笑しながら罵倒し続けた。
クラス全員の眼前に立ち、注目された状態で、しかも私以外が全てほめられていただけに、私はひどく恥をかかせられたと感じた。
また、他の生徒たちの作品の中での最低点は60点なのに、私の作品にだけ、『0点』と書いて返却してきた教員もいた。
ある時、某大手週刊少年誌の副編集長が来て、講評会が行われた。
全ての生徒たちの作品は酷評されていた。
私の作品を読んだ副編集長は何も言わなかったので、つまらなかったのだなと思った。
副編集長が帰った後で用事があって職員室に行くと、教員や事務員の人たちが私のところに集まってきて、

「キミ、すごいじゃないか!」
「キミのこと、ものすごくほめてたぞ!」

と興奮しきった様子で私に言った。
私は副編集長が私の作品をほめてくれていたということを知り、驚いた。
その時、私の周りに集まってきた人たちの中には、普段、私や私の作品に対して好意的でない人たちもいた。
その彼らが、自分の学校の生徒がほめられたことでこんなに興奮しているのだから、よほどの絶賛をしてくれたのだなと思った。



それから夏休みに入ったが、夏休み期間中にも、夏合宿という形で授業が行われた。
その際、授業の一環で、某週刊少年誌の編集部に原稿の持ち込みをした。
そこの編集長は、私の作品を一目見て、呆れ果てたように

「うわっ……!」

と言って失笑した。
そして、侮辱的な批評をした。
私はひどく落胆した。
その後、校舎に戻り、そこで二人のプロ漫画家が生徒たちの原稿を見てくれるということがあった。
私は落ち込んでいたので、見せたくないと言い、作品を見てもらうための列には並ばず、椅子に座ったままでいた。
すると、友人たちが

「見せてみなければわからないじゃないか!」
「見せろ!見せろ!」

というので、断れない性格の私は、いやいや列に並んだ。
私の前に並んでいた生徒たちは皆ひどく作品を批判され、ある生徒などは

「そこまで言われたら僕も黙ってられませんよ!」

と言って漫画家に反論し、漫画家も猛然と言い返して激しい口論になるなど、恐ろしい状況になっていた。
私は、列に並んだことを心底後悔した。
順番が来たので原稿を見せると、生徒と激論していたその漫画家が、

「これこそ漫画だ!」

と言った。
そして

「見てみろ!」

と言って、もう一人の漫画家に原稿を渡した。
するとその人も

「ホントだ……これはすごい!」

と言った。
そして、

「君はどこでやりたいんだと?」

と聞かれたので、私は遠慮がちに

「できれば週刊少年ジャンプで……」

と答えた。
すると、

「君ならどこでもやれるよ」

と言ってくれた。
これ以上ないほめ言葉だった。
私はこの漫画家たちと、見せるように言ってくれた友人たちに対して、深く感謝した。
その時ほめてもらった作品は、
『クルッチョ!彼はたわけている』
というギャグ漫画で、現在、アマゾン等で配信している
『パラのギャグ漫画』
に収めてあるが、現在の漫画ファンがクルッチョを見ると、なぜこういう絵柄のものをプロが絶賛したのか、理解できないかもしれない。
しかし、当時は、

「漫画は絵じゃない。中身だ」

という言葉を、漫画家も編集者も、そして読者も、皆が言っていた時代だった。
私は小学校の頃、北海道にも鹿児島にも住んだことがあり、友人たちとよく漫画談義をしたが、小学生でも、絵が上手いだけで中身がつまらない作品を描く漫画家を非常に軽蔑していた。
面白いことを描く才能がないことを、絵でごまかそうとしていると言っていた。
それぐらいなら、絵が下手なほうが、中身だけで勝負しようとしているぶん、こざかしくなく、ずっとましだと思われていた。
そのように、1にも2にもデッサン力や『今風の絵』と呼ばれる絵柄が重要とされている現在の漫画界とでは、漫画に対する価値観がほとんど正反対の時代であったのだ。



クルッチョ!彼はたわけている   
※『クルッチョ!彼はたわけている』1991年。    
   
   
   
その専門学校の先生の中にも、私の作品をとてもほめてくれる教員が少数派ながら存在した。
当時、私の漫画について、3割くらいの人は手を合わせなくてよいのだろうかと思うほど絶賛してくれた。
しかし、7割くらいの人は親のかたきにでも出合ったように私の漫画を憎み嫌って猛攻撃してきた。
そして、私の作品を酷評する人は、私以外の全員の作品をほめていた。
逆に私の作品をほめてくれる人は、私以外の全員の作品を酷評していた。
私に対する評価だけが、いつも他と分かれた。



(3)専門学校卒業後

卒業後、私は漫画雑誌への投稿を始めた。
例の職員室での一件があったので、あの大手週刊少年誌の副編集長に漫画を送ってみることにした。
二度ほど新人賞に落選しただろうか、三度目に新人賞を受賞することができた。
しかし、元々本人の目の前では一切ほめないという昔気質の人であったからか、それとも副編集長が新人の担当をすることはないからなのか、別の人が担当につくことになった。
ところが、それが不幸の始まりであった。
その担当は、些細なことでよくヒステリーを起こし、私を怒鳴った。
そして、言いがかりとしか言いようのない的外れな理由をあれこれとつけて、私が描いたほとんどのギャグを削除あるいは改変するように強要してきた。
それは、作品の改悪につながることは火を見るより明らかな、馬鹿げた要求ばかりだった。
自分で自分の作品を改悪することは、私にとってはらわたを引き裂かれる苦痛であった。
一度だけ、これでは私は描けることが何もなくなってしまうので、もう少し自由に描かせてほしいと抗議したことがあったが、全く通じなかった。
私は、心血を注いで考えたギャグを、ほとんど全て削除、あるいは改悪せざるを得ない状況に陥っていた。
やがて、デビューの話まで至ったものの私は、これでは操り人形のようにこの担当の言うとおりの内容を描いているだけで、自分が漫画を描いている意味は全くないと思った。
だから私はデビューの話を断り、その雑誌を去った。



その後、週刊少年ジャンプでのデビューを目指すことにし、すぐに新人賞の最終候補になり、その後もすべてが順調に進んだ。
このままいけば十分チャンスはあるように思えた。
しかし、私は漫画が描けなくなっていった。
長く作品を全否定されるような状況が続いたためかはわからない。
私は、自分の作品について自問自答を繰り返し、その苦しみのあまりペンを握っても動かすことができなかった。
描けないというどうしようもない事態に苦悩し、短期間に三度も病に倒れた。
三度目に倒れた後、今後どうするべきか考え抜いた。
そして、漫画家への道を断念することにした。
断腸の思いであった。
それから、15年ほど時が流れた。

明日もメガクラッシュ   
※私が漫画を描けなくなる直前の、最後に描いた漫画『明日もメガクラッシュ』1993年。    
   
   
   

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Kindle版、Kobo版は、2巻と1巻が合わさった形で、1冊のコミックに収録されています。

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